2014年4月10日木曜日

第二章 第一の精霊:その七

第二章 第一の精霊:その七

 それは別の光景でもあれば別の場所でもあった。
 そんなに広くもなく、きれいでもないが、住心地がよさそうな
部屋だった。
 冬の暖炉のそばに一人の美しい若い婦人がイスに座っていた。
 婦人の向かい側に彼女の娘が同じようにイスに座っていた。そ
の娘は、スクルージも同一人物だと思ったくらいに、前の場面に
出てきたあの娘とよく似ていた。
 部屋の中の物音はすごく騒々しかった。というのは、スクルー
ジの目の前には、落ち着きのない、数えきれないほど大勢の子供
達がいたからだ。

 あの有名な詩、ウォーヅウォースの「弥生に書かれたる」と題
する短編詩の羊の群とは違って、四十人の子供達が一人のように
振舞うのではなく、それぞれ一人の子供が四十人のようにはしゃ
いでいるのだからたまらない。だから、その結果は信じられない
ほどのにぎやかさだった。しかし、誰もそれを気にするようには
見えない。それどころか、婦人と娘は、ニコニコ笑いながら、そ
れを見てとても喜んでいた。そして、娘は間もなくその遊びに加
わった。というよりも、たちまち若い山賊達に娘は残酷に略奪さ
れてしまった。

「これがあの娘が望んでいたことなのかい?」と、精霊が言った。
「たしかにお金では買えそうにないが、それほどの価値があるの
かね」と、精霊は首をかしげた。

「精霊様には、この価値がお分かりにならないのですか?」と、
スクルージはあきれたように言った。
「私だったら、あの彼らの一人になったとしてもその娘を奪えな
かったでしょう。私なら絶対に、あんな乱暴なことはしませんね。
本当に絶対に。もし、世界中の宝物をくれるといっても、あのき
れいに編んだ髪をむしゃくしゃにしたり、ぐんぐん引っぱったり
はしないつもりです。それに、あの貴重な小さい靴も、私は近づ
くことはせず、それを脱がさなかったでしょう。この私の気持ち
を神様も分かっていらっしゃるでしょう! 私の人生を賭けても
いい。冗談でも彼らのような大胆な若い雛っ子達がやったように
娘の腰に抱きつくなんてことは、私にはまったく出来ないことで
すよ。そんなことをすれば、私はその罰として、私の腰の周りに
腕が生えてきて根のようになり、もう手を使うことはできなくな
るでしょうね」と、彼は息も切らさずに言い放った。しかし、本
当のことを言うと、彼は娘をわが子のように思い、キスをするこ
とを我慢できそうになかったのだ。
 キスをするために、娘に言葉をかけてみたかったのだ。その伏
目がちな眼差しとまつげを見つめながら。それも平然と顔色も変
えずにだ。
 娘の髪の毛に触れて、ゆるく波打たせてもみたかったのだ。そ
の1インチですら値段がつけられないほど貴重な記念品になるそ
の髪の毛に触れてみたいと思っていたのだ。
 スクルージは、無邪気な子供の特権を利用しながらも、大人と
して、父親のように娘に好意をよせたかったのだ。それほどの価
値があるのだと精霊に告白した。

 突然、出入り口のドアを叩く音が聞えた。すると、たちまち子
供達の突進がそれに続いて起こった。
 娘はニコニコ笑いながら、めちゃくちゃにされたドレスを整え
ることもできず、活気のある騒々しい群れの真中に挟まれて、やっ
と父親の出迎えに間に合うように、出入り口の方へ連れられて行っ
た。
 父親は、クリスマスのおもちゃやプレゼントを背負った男性の
ポーターを連れて戻って来たのである。
 次には叫び声と殺到。そして、無防備のポーターに向って一斉
に突撃が試みられた。それからイスを脚立にして、そのポーター
の体によじ登りながら、彼のポケットに手を突込んだり、茶色の
包装紙をひったくったり、襟首にしがみついて抱き着いたり、背
中をポンポンと叩いたり、愛情のあまり我を忘れて思わず彼の足
を踏んづけたりしていた。
 プレゼントの包装紙が開かれるたびに、驚きと喜びの叫び声で
それが迎えられた。
 赤ちゃんが人形の持っていたフライパンを口に入れようとして
いるところを取り上げたり、木製の皿にノリ付けになっていたお
もちゃの七面鳥を飲み込んだと言い、そうかもしれないと大騒ぎ
になった。 ところが、これは空騒ぎだったと分って、やれやれ
とひと安心した。
 喜びと感謝と幸福につつまれた。
 子供達もようやく落ち着きをとりもどし、全員が力尽きたよう
だった。
 次々に子供達は、その感動を残したまま客間を出て、ゆっくり
と階段を一段ずつ上がり、やっと家の最上階までたどり着いて、
それぞれのベッドに入ると、そのまま静まりかえった。

 まだ起きている娘は、暖炉のそばのイスに座った父親に甘える
ように寄り添い、その横には母親も一緒にいた。
 三人の幸せそうな姿をスクルージはうらやましそうに眺めてい
た。そして、あの時、別れた娘の希望を叶え、自分にも父親と慕っ
てくれる娘ができていたとしたら、一生のやつれ果てた冬の時代
に春の季節をもたらしてくれたかも知れないと思った時、彼の瞳
は本当にぼんやりとうるんできた。

「ベル」と、父親は微笑んで母親の方へ振り向きながら言った。
「今日の午後、お前の昔馴染に出会ったよ」

「誰ですか?」と、母親は聞いた。

「当ててごらん!」と、父親はじらした。

「そんなこと当てられるものですか。ああ、あなたったら、もう、
分りましたよ」と、父親が笑った時に母親も一緒になって笑いな
がら、ひときわ高い声で言った。
「スクルージさんでしょう!」

「そう、スクルージさんだよ。私はあの人の事務所の前を通った
んだ。窓が少し開いてたからなにげなく見たら、部屋の中にロウ
ソクがともっていて、あの人が見えたんだよ。以前よりも、もっ
と裕福になっているようだった。君は私のような貧乏人と一緒に
なって後悔していないかい?」と、父親は少し意地悪に聞いた。

「後悔なんてしていませんわ。あの人と一緒になっていたら、こ
んなに幸せな家庭はできなかったでしょうね。貴方が貧乏人ですっ
て? なに不自由なく生活させていただいているのに。貴方はお
金の使い方をよくご存知なのよ。この無理のないちょうどいい生
活をするのが私の望みでしたもの」と、母親は娘をみつめて幸せ
そうに言った。

「そうだったね。そうそう、あの人と共同経営者になっている人
が病気で死にそうになっていると聞いたよ。でも、あの人は平気
そうで、一人で部屋にいたけど、本当に独りぼっちになってしま
うんじゃないかな?」と、父親は心配そうにつぶやいた。

「精霊様!」と、スクルージはかすれた声で言った。
「どうか他の所へ連れて行って下さい」

「どうしたんだね?」と、精霊は不思議そうに聞いた。

「みじめなんです。たまらなくみじめで見ていられません」と、
スクルージは前で腕組みして、寒そうに体をすくめて言った。

「これはただ昔あったものの残像にすぎないと、私からあんたに
言っておいたじゃないか」と、精霊は言った。
「これがあんたの選んだ道だろ。あんたより彼らのほうがみじめ
な生活をしているんじゃないのかい?」

「どこかへ連れて行って下さい!」と、スクルージは叫んだ。
「私にはもう見ていられません!」

 スクルージは精霊の方へ振り向いた。そして、精霊の周りに、
それまで彼が出会った、色々な人たちの顔が現れては消えている
ように見えた。
 精霊はなにくわぬ顔をして、じっとスクルージを見つめていた。
そして、しばらくにらみ合った。

「そろそろ時間だ。あんたがどんなに後悔したって、過去は変え
られない。だけど、過去からしか学ぶことはできないよ。過去を
良くも悪くもするのはあんた自身なんだよ」と、精霊は言って、
スクルージに近づいた。

「もう説教は沢山だ!」と、スクルージは叫んだ。

 その瞬間、精霊の頭の光が高く明るく輝き始めた。その光のま
ぶしさに耐えきれなくなったスクルージは、とっさに精霊の持っ
ていた「多くの者の欲望で出来ている」とされるキャップをつか
んだ。

 精霊はそれを取り戻そうとしたのだが、スクルージは自分が襲
われると思い、精霊の頭にキャップを被せた。すると、精霊はそ
の下にヘラヘラと倒れた。そして、精霊はその中に吸い込まれる
ように体がすべて収まってしまった。
 スクルージは全身の力をこめてそれを押さえつけていたけれど
も、光はそのまぶしさを失うことはなく、地面に洪水のように流
れ出していた。

「私を連れ戻して下さい。そして、精霊様はどこかへ行って下さ
い! もう二度と私の所へ出ないで下さい!」と、スクルージは
目を閉じて叫び続けた。

 ふと気づくと、スクルージは元いた自分の部屋の寝室に戻って
いた。彼は自分の体が疲れ果てていることを意識していた。そし
て、睡魔に抵抗して打ち勝つこともできなかった。彼は、やっと
のことでベッドにたどりつき、同時にぐっすりと寝込んでしまっ
た。