2014年4月12日土曜日

第五章 この出来事の終わり:その六

第五章 この出来事の終わり:その六

 スクルージは、貧困をなくすために、率先して指導し、人々の
不満の中に新しい仕事の種があることを、手本を見せて気づかせ
た。すると、さびれた街に活気がよみがえった。それは、多くの
人達に知られるようになった。やがて、隣のさびれた街にも活気
が戻り、停滞した町が生き返り、過去の歴史の中で、最もすばら
しい自治市として発展していった。

 人々の一部には、スクルージが豹変したのを見て笑う者がいた。
しかし、彼は、そうした人達を笑わせておいた。今までの彼の行
動を知っている者には無理もないことだ。そんなにすぐに信用さ
れないことを彼は十分に承知していた。彼らは、彼がどんな体験
をしてきたか、なにも知らないのだから。

 次にスクルージは、世の中が、お金に振り回される悪循環をな
くすために、誰も所持できず、必要な時にだけ使える新たな通貨
の提案をした。しかし、始めは人々の中に参加しない者がいたり、
その突拍子もない提案をバカにして笑う者もいた。

 新たな通貨を受け入れた人々の中にも、他の通貨と交換しよう
としたり、どうにかして利益を得ようとする者がいて、なかなか
その良さを理解されなかった。

 スクルージは、試行錯誤を繰り返し、辛抱強く新たな通貨の啓
発に努めた。これには、ボブが力を発揮した。貧乏な暮らしをよ
く知っているボブは、人々の目線で説明した。そして、同じよう
に、人々にも知恵を出してもらった。

 やがて新たな通貨は、貧困をなくし、誰もが対等の立場になれ
ることが理解されるようになった。しかし、政府にとっては、今
までの通貨が無価値となることで、社会に混乱をもたらすと警戒
されるので、政府に妨害されないように、まずはグループを作り、
そのグループだけで使える通貨とした。

 新たな通貨は、単位をティムとしたことで、ティム通貨と呼ば
れるようになり、ティムの話を知った人々は、グループに加わり、
ますますティム通貨を信頼するようになった。
 最初は利益が得られないボランティアのように考えていた生産
者や商売人も社員の報酬を今までの通貨で払う必要がなくなるの
で、余剰の作物や商品をティム通貨で取引きするようになった。
 ティム通貨を使うことで、貧しい人達の生活が安定し、今まで
の通貨を外貨と考えて、安く出来た商品を売って外貨を稼ぐこと
で、今までの通貨の流通はどんどん減っていった。すると、今ま
での通貨が目減りした資産家の中にもティム通貨を使うグループ
に加わる者が現れた。そして、通貨そのものには、なんの価値も
ないことに人々は気づき始めた。

 スクルージは、十分に手を尽くした。そのため、ティム通貨は
彼の手から離れて、人々に浸透していった。それで、彼の心は笑っ
ていた。

 ところで、スクルージは、精霊とはそれ以来、会うことはなかっ
た。しかし、以前の彼に戻ることはなく、感謝の気持ちを忘れず
に生活した。そうしたことは、その後も変わることはなかった。
そして、人々は、彼を見直して、評価は高まっていった。

 スクルージは、クリスマスを大いに祝い、その意義を広めていっ
た。もし、それを知れば、誰だって夢中になるだろう。

 未来は、スクルージが精霊と見たものとは大きく変化した。し
かし、一つだけ変わらないものがあった。それは、ティムが考え
ていた「困っている人に手を差しのべる」という、助け合いの精
神だ。もちろん、元気になったティムもその考えを変えることは
なかった。そして、ティムは率先して実行した。

 私達の社会も本当に変われるかもしれない。それは、私達のす
べてにかかっている!
 
 神は私達を祝福する。そのすべての人を!


 終わりに

 クリスマス・キャロルは、色々な対立や偏見から和解する物語
ではないだろうか?
 「金持ち」と「貧乏人」、「老人」と「若者」、「健常者」と
「身体障害者」、そして、宗教対立などが、この物語にはある。
 「差別」という言葉は、今では悪いイメージで使われているが、
差別しなければ、自分と相手との違いが分からない。
 人間は、見た目は同じでも、その生き方はまったく別の生き物
と考えたほうがいい。(これは人間の脳が未成熟で生まれること
から可能性のあることだ)
 それぞれが違う生き物なのだから、生き方が違って当たりまえ。
 それなのに、大多数が正しい生き方で、少数の生き方は認めな
い。あるいは劣っていると思うことが問題なのではないだろうか?
 例えば、目の不自由な人が行動しやすい環境を整備する。これ
は、大多数の健常者にとっては意味のないことかもしれない。で
も、突然、真っ暗闇になった時、安全な場所まで誘導して助けて
くれるのは目の不自由な人ではないだろうか?
 その時、どちらが優秀で、どちらが劣っているといえるのか?
 真っ暗闇で作業をしなければいけない時、目の不自由な人に仕
事をしてもらえば、あえて照明をつける必要なない。
 厄介なのは、少数の者も大多数に偏見と憎しみを持つことだ。
 人間は弱い。自分の生活が少しでも脅かされると思うと、すぐ
に他者を排除しようとする。それを代行するのが「政府」だ。
 政府は、人間の弱みにつけこんで、対立をあおり、あたかも厄
介な仕事を自分達がしてやるといった親切ごかしでさらに状態を
悪化させ、そのくせ税金という報酬を搾り取る。
 大多数の者も少数の者も、それで安心した生活が約束されると
思い込んでいる。
 ユダヤ人は一時期、政府のない「流浪の民」だった。この時期
には対立のしようがないし、一人一人が活動自由な状態だった。
もちろん、税金を自分達の政府に搾り取られることもない。(自
分の住んでいる国の政府には税金を払うが、嫌ならいつでもその
国を捨てることができる)ところが、イスラエルを建国すると、
すぐに対立が芽生え、中東戦争まで起きている。
 最初にあげた対立は、政府にとって思うつぼで、本当に対立し、
排除しなければいけない相手は誰なのか、よく考えることだ。
 私は、すべての政府がなくなった時、平和が実現すると確信し
ている。