2014年4月10日木曜日

第一章 マーレーの亡霊:その七

第一章 マーレーの亡霊:その七

 一秒でも黙って、この微動だにしない、どんよりと生気のない
マーレーの亡霊の目を見つめて座っていようものなら、それこそ
自分の生命に関わりそうに、スクルージは感じた。それに、マー
レーの亡霊が辺りを地獄のような気配にしていることにも、何か
しら非常に恐ろしい気がした。
 スクルージは、自分が直接その気配を感じたのではなかった。
しかしそれは、あきらかに事実だった。というのは、マーレーの
亡霊はぜんぜん身動きもしないでイスに座っていたけれど、その
髪の毛や衣服のすそやブーツの紐が、オーブンから昇る熱気にで
も吹かれているように、フワフワと浮いて始終動いていたからだ。

「このスプーンは見えているかい?」と、スクルージは言って、
手に持ったスプーンを自分から遠ざけ、今あげたような理由から、
早速、開き直りながら突撃してみた。また、それには、ただの一
秒でもよいから、マーレーの亡霊の石のような凝視をよそへそら
したいとの願望もあった。

「見えるよ」と、スクルージを見たままマーレーの亡霊が応えた。

「スプーンの方を見ていないじゃないか」と、スクルージは言っ
た。

「でも、見えるんだよ」と、マーレーの亡霊は言った。
「見ていなくてもね」

「なるほど!」と、スクルージはあることをひらめいた。
「私はただこれを丸呑みにしさえすればいいんだ。そして、一生
の間、自分で作りだした化物の群れに始終いじめられてりゃ世話
はないや。バカバカしい、本当にバカバカしいわい!」

 これを聞いたマーレーの亡霊は、怖ろしい叫び声をあげた。そ
して、ものすごくゾッとするような物音を立てて、体中の鎖をゆ
さぶった。
 スクルージは気絶しそうになり、しっかりとイスにしがみつい
た。そして、彼は無意識にひざまづいて、顔の前に両手を合せた。

「助けてくだい!」と、スクルージは言った。
「恐ろしい亡霊様、どうして貴方は私をお苦しめになるのですか?」

「世の中を見ようともしない、欲深い奴だ」と、マーレーの亡霊
は怒鳴った。
「お前は私を信じるか? どうだ!」

「信じます」と、スクルージは言った。
「信じないではいられません。ですが、どうして亡霊が出るので
すか? それに、何だって私のもとへやって来るのですか?」

「誰しも人間というものは」と、マーレーの亡霊は話し始めた。
「自分の中にある魂を、世の中で同士の精神と通わせて、あちら
こちらへと常に旅行させなければならない。もしその魂が生きて
いるうちに閉じ込めて通わせなければ、死んでからそうするよう
に定められているのだ。そのため、世界中をさまよわなければな
らない。ああ、悲しいことだ! そして、この世にいたら共有す
ることも出来たろうし、幸福にしてやることも出来たろうが、今
は自分が共有することの出来ない事柄を目撃するように、その魂
は運命を定められているのだよ。幸い、私はお前が、お前にして
は荘厳な葬儀をしてくれたので、お前に会う最後のチャンスをい
ただいたのさ」

 マーレーの亡霊は再び叫び声をあげた。そしてまた、体中の鎖
をゆさぶって、その幻影のような両手を振るわせた。

「貴方は縛られていらっしゃいますね」と、スクルージは震えな
がら言った。
「どういう訳ですか?」

「私が生存中に鍛えた鎖を身に着けているのさ」と、マーレーの
亡霊は応えた。
「私は一つの輪っかずつ、一ヤードずつ、作っていった。そして、
自分自身で巻きつけたんだ。自分自身で縛りつけたんだ。お前は
この鎖の型に見覚えがないかね?」
 
 スクルージは思いをめぐらしながら、ますます震えた。

「お金は道具だ。使わなければ価値がない。私がせっせと集めて
貯めこんだお金は、ただの金属と紙だ。それほど金属と紙が欲し
いのならと、神がこうして鉄の鎖を作るように命じたのだ。もっ
とも、最初はこんなに長くなかったのに、お前が私の残した財産
を増やしたものだから、こんなに重く、長くなってしまったのだ
よ。そうだ、そうだ」と、マーレーの亡霊は言葉を続けた。
「お前は自分でも背負っているその頑丈な鎖の重さと長さを知り
たいかね? それは七年前のクリスマスイブでも、これに負けな
いくらい重くて長かったよ。その後もお前は一生懸命稼いで殖や
していったからね。私の分まで・・・。今は素晴らしく重く長い
鎖になっているよ」

 スクルージは、もしか自分もあんな五、六十フィートもあるよ
うな鉄の鎖で縛られているんじゃないかと、周囲の床の上を見ま
わした。しかし、何も見ることは出来なかった。

「ジェイコブ」と、スクルージは心底願うように言った。
「ジェイコブ・マーレーよ。もっと話しをしておくれ。気が楽に
なるようなことを言っておくれ、ジェイコブよ」

「何もしてやれないね」と、マーレーの亡霊は応えた。
「そういうことは他の世界をのぞいてみることだ。エベネーザー・
スクルージよ。そして、自分の信仰とは違う使者や質の違う人間
の習慣も受け入れてみることだよ。そうしたことは私が自分の言
葉で話すわけにはいかない。それに、あともうほんの少しの時間
しか許されていないんだ。私は休むことも停まってることも出来
ない。どこかでぐずぐずしてることも出来ない。私の魂は私達の
事務所より外へ出たことがなかった。よく聞いておくんだ。生き
ている間、私の魂は私達の社内の狭い天地より一歩も出なかった。
そして、今や飽き飽きするような長たらしい旅路が私の前に横わっ
ているんだよ」