2014年4月10日木曜日

第一章 マーレーの亡霊:その八

第一章 マーレーの亡霊:その八

 スクルージが考え込む時には、いつもズボンのポケットに両手
を突っ込むのが癖だった。彼は必死に、マーレーの亡霊が言った
話のつじつまが合うのか考えた。そしてしばらく、彼は、目もあ
げなければ、立ち上がりもしなかった。

「すごくゆっくりとやって来たのでしょうか?」と、スクルージ
はねぎらいの気持ちはあったが、事務的な口調で質問した。

「ゆっくりだ!」と、マーレーの亡霊はスクルージの言葉を繰り
返した。

「死んでから七年」と、スクルージは時を振り返るように言った。
「その間、始終歩き続けたのでしょうか?」

「始終だとも」と、マーレーの亡霊は応えた。
「休息もなければ、安心もない。絶え間なく後悔に苦しめられて
いるんだよ」

「では、よほど速く歩いてるのですか?」と、スクルージは聞い
た。

「風の翼に乗ってね」と、マーレーの亡霊は応えた。

「それじゃ、七年の間には、すごく沢山の世界を歩かれたでしょ
う」と、スクルージは言った。

 マーレーの亡霊は、それを聞いてもう一度、叫び声をあげた。
そして、役所がそれを安眠妨害として告発してもおかしくないと
思われるような、怖ろしい物音を真夜中に響かせて、鎖をガチャ
ガチャと鳴らした。

「おお! 縛られた。二重に足かせをはめられた捕虜よ」と、マー
レーの亡霊は叫んだ。
「不死の人々が、いく時代もかけて、この世のためになされた不
断の努力や、この世で与えられるはずの善が、まだことごとく広
められてもいないのに、永遠の暗黒の中に葬られるとも知らない
で。民の魂が、どんな境遇にあるにせよ、その小さな範囲内で、
それぞれその役目に合った働きをしている。そのいずれも、自分
に与えられた力で、人のために尽くさなければいけない範囲の広
大なのに比べて、その一生の余りに短すぎることに気づかなかっ
たとは。一生のチャンスを無駄遣いしたことに対しては、いくら
長い間、後悔を続けてもそれを償えないと知りもしなかった! 
そうだ、私はそういう人間だった! ああ、私はそういう人間だっ
たんだ!」

「だがしかし、貴方はいつも立派な商売人でしたよ」と、スクルー
ジはなぐさめるように言った。彼は、マーレーの亡霊の語った言
葉が、自分のことのように思えたのだ。

「商売人だって!」と、マーレーの亡霊はまたもやその手を振る
わせながら叫んだ。
「私がやっていたのは、金集めのゲームだよ。それもルール違反
ギリギリの姑息なやり方でね。仕事など一度もやったことはない。
本当にやらなければいけない仕事は人の役に立つことだ。社会の
福祉が私の仕事だった。慈善と恵みと堪忍と博愛で文明開化させ
ること。そのすべてが私のすべき仕事だったよ。そのためにする
商売上の取引などは、私の能力を発揮するための、大海原の水の
一滴をすくう程度のことだったんだ」

 マーレーの亡霊は、これがあらゆる自分の無益な悲嘆の源泉だ
とでも言うように、腕に力をこめてその鎖を持ち上げた。そして、
それを再び床の上にドッサリと投げ出した。

「一年のこの時期には」と、マーレーの亡霊は言った。
「私は一番苦しむんだ。なぜ、生前、私は仲間が集っている中を
目を伏せたまま通り抜けたんだろう? そして、賢者を貧しい人々
に導いたあの祝福の星を仰いで見なかったんだろう? 世の中に、
あの星の光が私を導いてくれるような貧しい家は無かったのか?」

 スクルージは、マーレーの亡霊がこんな調子で話し続けている
のを聞いて、非常に落胆した。そして、非常にガタガタと動揺し
始めた。

「よく聞いておくんだ!」と、マーレーの亡霊は叫んだ。
「私の時間はもう尽きかけているんだからね」

「はい、聞いています」と、スクルージは言った。
「ですが、どうかお手柔らかにお願いいたします。あまり言葉を
大げさにしないでください。ミスター・ジェイコブ、お願いしま
す」

「姿は見せなかったが、私は何日も何日もお前のそばに座ってい
たんだよ」と、マーレーの亡霊は言った。

 それは聞いてあまり気持のよい話ではなかった。
 スクルージは身震いがした。そして、額から汗をふきとった。

「こうして座っているのも、私の難行苦行の中で、あまり易しい
方ではないんだよ」と、マーレーの亡霊は言葉を続けた。
「私は今晩ここへ、お前にはまだ私のような運命を逃れるチャン
スも望みもあるということを教えてやるためにやって来たんだ。
つまり、私の手で調べてあげたチャンスと望みがあるんだよ。ミ
スター・エベネーザー」

「貴方は、いつも私には親切な友人でしたからね」と、スクルー
ジは言った。
「本当に有難う!」

「お前のもとに訪れるよ」と、マーレーの亡霊は言った。
「三体の精霊が」

 スクルージの顔が、ちょうどマーレーの亡霊のあごが垂れ下がっ
たと同じぐらいに垂れ下がる思いだった。

「それが、貴方の言ったチャンスと望みのことなのですか? ミ
スター・ジェイコブ」と、スクルージはおどおどした声で聞いた。

「そうだよ」と、マーレーの亡霊は応えた。

「私は・・・。私はできれば来てほしくないのですが」と、スク
ルージは言った。

「三体の精霊の訪問を受け入れなければ」と、マーレーの亡霊は
言った。
「絶対に私の歩んでいる道を避けることは出来ないよ。明日、夜
中の一時の鐘が鳴ったら、最初の精霊が来るから覚悟しておくん
だね」

「皆さん一緒に来て頂いて、一度に済ましてしまうわけにはいき
ませんかね、ミスター・ジェイコブ」と、スクルージは彼の機嫌
をうかがいながら言った。

「その次の夜中の同じ時刻には、次の精霊が来るから覚悟してお
くんだ。そして、その次ぎの夜中の十二時に最後の時を告げる鐘
が鳴り止んだら、最後の精霊が来るから覚悟しておくんだよ。そ
れから、私の残した私の財産をすべて使いきり、この鎖の苦しみ
から解放してくれ。そして、もうこれ以上、私と会おうと思うな。
今夜、こうして二人が会い、語り合ったことをお前自身のために
忘れるんじゃないぞ!」

 この言葉を言い終わった時、マーレーの亡霊は、頭からあごの
まわりに巻きつけたハンカチの結び目を再びほどき、あごを上に
押し上げ、骨にガチリという音をさせながらしっかりと固定して
結んだ。
 スクルージは、骨の鳴る音で気づき、思いきってマーレーの亡
霊の方を見た。すると、この超自然の来客は、腕に抱えた鎖をグ
ルグルと巻きつけたまま、直立不動の姿勢で彼と向い合って立っ
ていた。