2014年4月10日木曜日

第一章 マーレーの亡霊:その五

第一章 マーレーの亡霊:その五

 皆さんは、古い階段を六頭立ての馬車が走って駆け上がるとか、
または、新に議会を通過した法令がひどく悪いものだったら平気
で認めることができるだろうか?
 もっとも、階段の上に霊柩車を引き上げようと思えば出来るこ
とは、私や皆さんでも理解できるだろう。
 例えば、壁の方に横木を置いて、手すりの方にドアを向けて、
霊柩車を横にして引き上げることが出来るぐらいの階段の広さは
十分にあって、まだ余裕さえあった。
 だからスクルージが薄暗がりの中で、自分の目の前の階段を霊
柩車が上って行くのを見たように思っても不思議ではないかもし
れない。
 街の方から五、六本のガス灯の光が射しても、このビルの中ま
で十分に照らすことはできない。それだから、スクルージのロウ
ソクだけではかなり暗かったことは、誰にでも想像がつくだろう。
 スクルージは、そんなことには少しもかまわずに、階段を上っ
て行った。
 暗闇だって心地良い。そして、スクルージはそれが好きだった。
ただし、彼は自分の部屋の重いドアを閉める前に、何事もなかっ
たか確かめようとして、他の各部屋を通り抜けた。彼もそうした
くなるくらいには、ノッカーがマーレーの顔に見えたことは、十
分に影響していた。

 居間、寝室、物置。
 すべてでどこも変わった様子はなかった。
 テーブルの下にも、ソファの下にも、誰もいなかった。
 時々、やって来る家政婦がそのままにしていたのか、暖炉には
少しばかりの火が残っていた。
 スプーンも皿も用意してあった。
 家政婦が作ったお粥(スクルージは鼻風邪をひいていた)の小
鍋は暖炉の横の棚の上にあった。
 もう一人、たまに掃除や洗濯物を洗ってくれる女性が出入りし
ているのだが、その姿もなかった。
 ベッドの下にも、誰もいなかった。
 クローゼットの中にも誰もいなかった。
 パジャマはだらしなく壁にかかっていたが、そちらにも誰もい
なかった。
 別の物置も普段の通りだった。そこには、古い暖炉のフタと、
古靴と、二個のカゴと、三脚の洗面台と、火かき棒があるだけだっ
た。

 すっかり安心して、スクルージはドアを閉めて、上の鍵をかけ
た。それに下の鍵もかけた。それは彼の習慣ではなかった。とい
うのも、彼は、無駄遣いをすることがないので、部屋に盗まれて
困るような貴重な物は何一つなかったからだ。
 こうして先ず、何者かに不意打ちをくう恐れをなくしておいて、
スクルージはネクタイを外した。それから、パジャマを着てスリッ
パをはいて、ナイトキャップをかぶった。そして、お粥を食べよ
うとして暖炉の前にあるイスに座った。
 暖炉の火はとても小さくなっていた。
 こんな厳寒の晩では、ないのと同じようなものだった。
 スクルージは、無意識にその火の近くへイスを近づけて座り、
長い間、その火でなんとか体を暖めようとした。そうしなければ、
こんなわずかな火では、暖かいというほんのわずかな感じでも引
き出すことは出来なかったのだ。

 暖炉はずっと以前に、オランダのある商人が造らせた古い物で、
周囲には聖書の中の物語を絵柄にした風変りなオランダのタイル
が敷き詰めてあった。
 カインやアベルやパロの娘達やシバの女王、羽布団のような雲
に乗って空から降ってくる天の使者やアブラハムやベルシャザア
や舟に乗って海に出て行こうとしている使者達や何百人というキ
リスト教徒の心をひきつける人物がそこに描かれていた。
 スクルージのようなユダヤ教徒は偶像崇拝をしないのだが、彼
は改修するお金を惜しんでそのままにしていた。
 その絵柄の中に、七年前に死んだマーレーのあの顔が古えの予
言者の杖のように現れてきて、総ての人物を丸呑みにしてしまっ
た。
 もしこの滑らかなタイルが、いずれも最初は白い無地で出来て
いて、そのバラバラの断片の表にスクルージが想像した何かの絵
を描く力を持っていたとしたら、どのタイルにも老いたマーレー
の頭が写し出されたことだろう。

「バカな!」と、スクルージは言った。そして、部屋の中をあち
らこちらと歩いた。

 五、六回、往ったり来たりした後で、スクルージはまたイスに
座った。彼がイスの背に頭をもたれかけた時、ふと一つの呼び鈴
が目にとまった。それは、この部屋の天井近くの隅にかかってい
て、今は忘れられたある目的のために、このビルの最上階にある
一つの部屋からロープを引けば鳴るようになっていた。
 この頃は使われなくなった呼び鈴だった。その呼び鈴をスクルー
ジが見て間もなく、ゆらゆらと揺れだしたので、彼は非常に驚い
た。それどころか、不思議な何ともいえない恐怖に襲われた。
 最初は、ほとんど音も立てないほど、とてもゆっくりと揺れて
いた。しかし、次第に高く鳴り出した。そして、他の部屋にある
どの鈴も皆同じように鳴り出した。

 これが続いたのは三十秒か一分位のものだったろう。だけど、
スクルージには一時間も続いたように思われた。
 呼び鈴などは鳴り出した時と同じく、一斉に鳴り止んだ。その
後、階下のずっと下の方で、チャラン、チャランという、ちょう
ど誰かがワイン商の穴ぐらの中にある酒樽の上を重い鎖でもひき
づっているような音が続いた。
 その時、スクルージは「亡霊に取り付かれた屋敷では、亡霊が
鎖をひきづっているものだ」と、言われたのを聞いたことがある
ように思い出した。