2014年4月8日火曜日

第一章 マーレーの亡霊:その一

はじめに

 この作品は、チャールズ・ディケンズ原作の「クリスマス・キャ
ロル」を、インターネットの図書館、青空文庫にある森田草平氏
の翻訳をベースに、プロジェクト杉田玄白のkatokt氏の翻訳を参
考にして、私がアレンジしたものです。
 原作と大きく異なるのは、主人公のスクルージをユダヤ人と明
確にしたことです。
 私の推測ですが、スクルージは、ロスチャイルド家のような、
ユダヤ人が金融業を生業としているのをモデルとしたのではない
かと思います。そして、この原作が出版された1843年頃には、
まだイスラエルは建国されておらず、ユダヤ人は「流浪の民」と
言われていました。このことが、この原作に隠されたディケンズ
氏の本当に伝えたいことではないかと思うのです。
 どうか、最後までお読みいただき、貴方の心を少しでもくすぐ
ることができれば、幸いです。


第一章 マーレーの亡霊:その一

 そもそもの発端は、ユダヤ人のマーレーが死んだことにある。
 この事実に疑問をはさむ余地はない。
 マーレーの埋葬の登録簿には、司祭も、書記も、葬儀屋も、ま
た、喪主で友人で仕事仲間でもあるユダヤ人のスクルージもそれ
に署名した。
 特にスクルージの名は、取引所において彼が署名すれば、いか
なる物に対しても十分に効力があった。

 年老いたマーレーはドアのクギのように死に果てた。

 もっとも、私はドアのクギに死のイメージがあると言っている
のではない。
 私はどちらかといえば棺のクギの方が死のイメージに近いと思
うのだが、マーレーは裕福で、その生を全うして安らかに死んだ。
だから悲愴感がまったくなかったので、ドアのクギというイメー
ジを否定することはできなかった。
 私がこれにいちいち反論することもないだろう。
 繰り返して言うが、年老いたマーレーはドアのクギのように完
全に生を全うした。

 ところで、スクルージは、マーレーが死んだことを理解してい
たのだろうか?

 もちろん、スクルージは理解している。この事実を受け入れよ
うとしていたのだ。

 スクルージとマーレーとはそんなに歳も離れておらず、何年と
も分らない長い歳月の間、商会の共同経営者だった。
 スクルージはマーレーの唯一の遺言執行人で、唯一の財産管理
人で、唯一の財産譲受人で、唯一の残余受遺者で、唯一の友人で、
また唯一の会葬者だった。ただし、スクルージは葬儀の当日、卓
越した商売人であることを忘れるような、それほどこの悲しい出
来事に気落ちはしていなかった。それは、不景気な世の中にもか
かわらず、荘厳な葬式をしたものの、その費用はとてつもない値
引き交渉をして安くすませたからだ。だから「マーレーが死んだ
ことを理解しているのだろうか?」と、疑いたくなるほど、普通
なら信じられない神経の持ち主だと誰もが思ったのだ。

 マーレーの荘厳な葬式の詳しいことまでは触れないが、とにか
く、マーレーが死んだという事実だけは理解してほしい。そうで
なければ、これからお話しすることは不思議でもなんでもなくなっ
てしまう。
 例えば、ハムレットのような芝居でも、死んだ父親が登場して
夜中に、東の風に乗って、自分がかつて城主をしていた城の城壁
の上をフラフラさまよい歩く姿は、それを観る者が父親が死んで
いるということを理解していなければ、普通のことで、面白くも
不思議でもないだろう。

 なぜこんな前置きをするかといえば、スクルージはマーレーの
名前をけっして塗り消さなかったからだ。
 その後何年も、マーレーの名は倉庫のドアの上にそのままになっ
ていた。ようするに社名が「スクルージ・エンド・マーレー」と
なっていたのだ。
 この商会はスクルージ・エンド・マーレーで知られていた。
 何も知らずこの商会へ入って来た人は、スクルージのことをス
クルージと呼んだり、時にはマーレーと呼んだりした。しかし、
彼は両方の名前に返事をした。
 スクルージにはどちらでも同じことだったのだ。だから、この
商会に出入りする人たちの間では、マーレーはまるで生きている
かのように思われていた。
 
 この商会の仕事、今となってはスクルージただ一人の仕事だが、
まるでハイエナのように弱っている者を見つけては、その足元を
見て、値打ちのある物を担保に、少しのお金を貸し、高い利息で
追い詰めて破綻させては、担保にした物を奪い取った。
 このことは誰もがよく知っていたのだが、不景気でどこからも
支援がない者は、ほんの少しの期間ならと、ついお金を借りてし
まうのだ。誰でもまさか自分が破綻するとは思わないものだ。
 スクルージは、小額の貸し金で手に入れた担保品を高く売って、
さらに儲け、富を独り占めにしたが、生活は質素で、買う物は少
なく、買う時でも必ず値切って、決して無駄遣いはしなかった。
 このような人物だから富を得る方法など他人に話すことはなく、
人付き合いも悪く、孤独な男となっていた。そして、その姿もス
クルージの心の中の冷気のせいか、彼の老いた顔つきを凍らせ、
そのとがった鼻をがさつかせ、そのほほをしわくちゃにして、歩
き方をぎこちなくさせた。また、目を血走らせ、薄い唇を青ざめ
させた。その上、彼の耳触りの悪いしわがれ声にも冷酷にあらわ
れていた。
 凍った霜は、スクルージの頭の上にも、眉毛にも、また針金の
ようにとがったあごにも降りつもっていた。そして、彼はいつも
低い温度を自分の身につけて持ち歩いているようだった。
 夏でさえスクルージの事務所を冷くした。そして、クリスマス
にも一度としてそれを打ち解けさせなかった。
 それもそのはずで、スクルージはユダヤ人だから、キリスト教
のクリスマスを祝う必要はなく、キリスト教徒の社会には一定の
距離をおいていた。